これでは、日々刻々と変わる流通業界の動きに対応できないし、自由な経営が望めない」。
「だいたい、いくらうちがいま東日本中心に出店しているからといって、後々のチェーン店展開の地域まで縛られたのでは、将来の全国展開の可能性を潰すことになる」。 将来の可能性を秘める新事業にかけていたふたりは、それを妨げるような納得のいかない条件に不満をもった。

それは当然の成り行きだった。 社内を説得するにも困難な条件ばかりだった。
たとえば、ロイヤリティーの問題。 売上高の1%という数字は、当時のイトーヨーカ堂の売上高最終利益率の半分以上である。
ただでさえ、提携に批判的なヨーカ堂の多くの役員が、こんな数字を承知するわけがなかった。 数か月の交渉で、最難関のロイヤリティー問題は、当初の半分の0.5%に値切ることに成功した。
また、出店数も要求の帥%に当たる1200店で合意に漕ぎ着けた。 もっとも、約束の別年3月末には、店舗数は1536店と契約をはるかに上回っていたが、とに出店数も、受け入れられないものだった。
サウスランド社は毎年出店数を伸ばし、8年間で2000店を達成するように求めてきた。 当時のイトーヨーカ堂の店舗数はわずか数店というのにである。
あまりに多すぎる店舗数に、まったくの白紙状態から事業に取り組むふたりは「これはとても受けられない。 もしかしたら達成できるかも知れないが、事前に約束できるのは1000店ぐらいのものだろう」と、考えたという。
SとFは、サウスランド社の要求に対して粘り強く交渉した。 実は、イトーヨーカ堂の役員陣は、依然として、Iをはじめほぼ全員がコンビニエンスストアへの参入に懐疑的だった。
そこで、Sとしても、ぜひこのビジネスを実現したいという願いと同時に、役員たちが納得できる条件でなければ、交渉はご破算になってもやむを得ないとの思いがあった。 その「背水の陣」ともいえる覚悟を決めた交渉姿勢が、米国流にもともと言い値を高めに設定していたサウスランド社から、大きな譲歩を引き出すという特効薬的効果を導き出した。
もかくにも、もめにもめた交渉はようやく合意に達したのである。 さて、こうして振り返ってみると、実はイトーヨーカ堂のコンビニエンスストア参入は、イトーヨーカ堂が独自に考え出したものでないことはもちろん、初めから新規事業としてSEだけを考えていたわけではなく、偶然という要素がかなりの部分を占めていたことがわかる。

お見合いは、そのコンセプトが生まれた当時から現在に至るまで、お見合いの根幹を成すものとして、多くの企業の注目を集めてきた。

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